好きな景色が変えられてしまうこと

それ自体に思いはない。そこがどうなろうが、それはその場所で何かしようとする人の意思決定の結果でしかない。でも、今までそこにあった景色が強制的に変えられるそのさまを見させられるのは辛い。私達だけが共有していた平和な日常を、突然現れた第三者に破壊されるような気にすらなる。たとえその場所が自分とは全く関わりがなかったとしても。

昨日、娘が泣いていた。
聞けば過去によもぎ草を摘んだ場所(空き地)で工事が始まっていたとのこと。立地の良い場所なので、きっと新しく家が建つのだろう。

娘は泣きながら言った。「なんでフィンランドみたいに、ずっと変わらないままでいられないのだろう」と。私も心から同意し、悲しい気持ちになった。

娘はその空き地が気に入っていた。
秋に草刈りがされる以外はあまり手も掛けられないままの、その場所にはいつも雑草が生い茂り、その中にはよもぎなどの有用な植物も生えていた。
毎年春になると娘は母と一緒にその場所へ行き、よもぎを摘んで来て餅を作った。自分で採った草からおいしい餅が出来ることを娘は本当に喜んでいたし、遠くに出かけなくても季節によって変わる植物を楽しんでいた。割と都心に住む私達にとって、雑草生い茂るその狭い空き地は、ちょっとした息抜きが出来る空間になっていた。

だが、その場所もじきになくなる。
思い出の中だけにしかない場所が、また一つ増えてしまった。

私は20年ほど前までの名古屋駅前の景色が好きだった。
東洋一の駅ビルと評された、戦前に建てられた名古屋駅。向かいには昭和30年代の色を濃く残す大名古屋ビルヂング。桜通を挟んで建つ毎日ビルも1950年代のモダンな雰囲気を持ち、館内にある複数の映画館は、公開中の映画の手書き看板やスチール写真を展示していた。歩道はコンクリートパネルを敷き詰めた形式で、ゴジラやクレージーキャッツの古い映画に出てくるそれと同じなのが気に入っていた。ステンレスとガラスの無機質な質感が流行った1980年代〜90年代にはいささか古臭くも感じたが、むしろその歴史を感じられる場の雰囲気が大好きだった。

だが、今はその景色も何一つ残っていない。
それらは現在の最先端スタイル、歴史の重みも深みも何もないビルに全て置き換わり、全く別の街のような風景になってしまった。新しくなってからかれこれ16〜7年は経つだろうが、昔から続いてきた景色がなくなり始めた90年代後半から既に、そこは私が愛した風景ではなくなっていた。

私が愛した景色がもうそこに存在しないのなら、私はそこを懐かしい場所と認める必要もない。私がそこに「帰る」意味はもうとっくの昔に失われたのだろう。ただ心の奥底が少し締め付けられる。まるで失った手足の、幻の痛みを感じ続ける脳のように。