昔のツイートまとめ・一部再編集(続く?)

バイクに乗ってる間は物凄く楽しくて、同時に結構寂しい。
この感覚を共有できるから、バイク乗りって繋がりだけで全然知らない人楽しく話が出来たりするんだろう。

自動二輪車。こんなにも楽しくて、こんなにも寂しい遊び道具を、私は他に知らない。
代えが利かないから、何だかんだ言っても結局降りないで乗ってるんだろうな。

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私にとってバイクいじりは「自分の考えや仮定を実証する一手段」で、目的とするのは思考過程の実証と知識・見識の拡大なので必ずしもチューニングする必要はないし、バイクいじりばかりしてる様に見えて、その実いじる行為そのものは嫌い、というアンビバレンツを説明…できてないか?
だから、一度やったことをもう一度やるのは嫌だったりする。「それはもう考えたし、実際にやった」ということをなぞっている間の時間が勿体無い。そんなんだから次に乗りたいバイクの幅がどんどん狭くなるけど、多分生まれ持った性分とかそっちの方から来る欲求なので、仕方ない。
それは「乗りたいイジりたいバイクは沢山あるけど、むしろ所有物は減らしたい」
というように、バイクという物体そのものを所有したいのではなく、「ソレを通じて得られる経験」が欲しいのだ、という意識とも言える。

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「仮に、金銭的な制約がなければ」一度○○(○○には車やバイクが当てはまる)に乗ってみたい、なーんて話を時々見るけど、あぶく銭が手元にあってどう使っても良いのなら、そもそもバイクや車みたいな面倒臭い物で遊んだりしない。地中海でクルージングでバカンスとかするね。
バイクや車だけ良いの買ったってさ、生活は今と何ら変わらないじゃん。

逆に「金銭的制約がない」にも関わらず、車やバイクしか選べないのだとしたら、発想が貧困すぎるので、もうちょっと無節操な夢を見ても良いと思う。